物事の真実(レンコンなりの解釈)
セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。古墳とは何だったのでしょうか?妄想のはじまりです。
古墳とは何だったのでしょうか?
古墳というモノを時代の名前としている不思議な時代がありました。
古墳時代は、3世紀~7世紀頃のことで、ウィキペディアによると弥生時代に続く考古学上の時代区分で、前方後円墳に代表される古墳がさかんに造られた時代を指します。
古墳は単なる権力者のお墓だったのでしょうか?
お墓にしては広大な土地を占めています。
お墓が男性であれば、出土品としては鉄剣、太刀、馬具、鎧、矢、鈴、鏡、埴輪、陶器等があります。
権力者の身の回り品は、どこで造られているのでしょうか?
古墳を造るにしても時間と人材とお金がかなりかかります。
全て身の回り品を他地方からの調達ということになれば、膨大な資金が必要になります。
この時代は、豪族が住民を直接統治していましたから、現代の我々のように重い税金をかけることもできなかったというかしなかったでしょう。
ではどうしたのでしょうか?
愛知県で最も大きな古墳である熱田神宮の近くにある断天山古墳を例にして考察します。
断天山古墳
断天山古墳の墳丘の規模は、墳丘長151m、後円部 - 3段築成で、直径:80メートル、高さ:13メートル、前方部 - 3段築成で幅:116メートル、高さ:16メートルと大規模な古墳です。前方後円墳です。
断天山古墳は、尾張氏の首長の墓と考えられています。
尾張氏については、次回にお話しますが、かなり力を持つ地方豪族です。
妄想モード全開
古墳の周りは水路があり、現在は使用していないので水は流れていませんが、堀川へと水を流していました。尾張氏は、金・銅・鉄を採取することができ、古墳内で出土される鉄剣、太刀、馬具、鎧、矢、鈴、鏡、埴輪、陶器を造っていたのではないかと考察します。
近くには、白鳥古墳、北山古墳、高蔵古墳群があるので、分担して製造していたのではないかと思います。
ものづくりに強い愛知県の基礎は、古代から受け継いでいると考えれば自然であり、辻褄が合うのではないかと妄想します。
ここで製造した商品(鉄剣、太刀、馬具、鎧、矢、鈴、鏡、埴輪、陶器等)を法持寺や龍珠寺で商社のような役割を果たして全国に(もしくは全世界に)流通させていって稼いだ資金があったので、尾張氏は強大な権力を持っていたのではないかと考察します。堀川に隣接していますから船で運べます。
断天山古墳は、調査されないままですので、志段味古墳群のあるしだみ古墳ミュージアムに行って古墳の見学をしてきました。
しだみ古墳群ミュージアム
志段味大塚古墳が一番大きな古墳でした。帆立貝式古墳です。
5世紀後半頃のもので、他に勝手塚古墳、西大久手古墳、東大久手古墳、大久手3号墳、4号墳、5号墳があります。
近くに東谷山があり、白鳥塚古墳、東谷山白鳥古墳等多数あり、尾張戸神社もあります。古墳の立地は、庄内川に隣接しています。船で運べますからね。
次回は、尾張氏についてです。お楽しみにしていてください。