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真実の歴史妄想隊参上❣ ニギハヤヒについて

物事の真実(レンコンなりの解釈)

セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。

 

日本書紀によれば、ニギハヤヒは、アマテラスから十種神宝(とくさのかんだから)を授かり、天磐船(アマノイワフネ)で磐船神社に降り立ち、大和国を統治しています。

十種神宝

磐船神社の巨岩は、まさにアマノイワフネに見えます。

 

大和国は、すでに登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)こと、長髄彦(ナガスネヒコ)が統治していましたが、ニギハヤヒ十種神宝を持ち、自分の妹のトミヤヒメと結婚したので、ニギハヤヒの部下となり、ニギハヤヒは大和国の王となりました。

ニギハヤヒは、土着豪族の軍事を司る氏族の物部氏の祖となっています。

 

日本神話といわれているものの矛盾1

大国主神が出雲国を統治していたら、アマテラス率いる天孫族が出雲国を手中にしたかったため、高天原から天菩比神(あめのほひのかみ)や天若日子(あめのわかひこ)を派遣したが失敗し、3人目には強力な人物の建御雷之男神(たけみかづちのお)・建御雷神(たけみかづちのかみ)を派遣して大国主を説得しました。大国主神は、1人で決定せず、子供の建御名方神(たけみなかたのかみ)と事代主神(ことしろぬしのかみ)に尋ねました。

建御名方神(たけみなかたのかみ)は反対し、事代主神(ことしろぬしのかみ)は賛成しました。

反対した建御名方神(たけみなかたのかみ)は、建御雷神(たけみかづちのかみ)と力比べをしたら、生命の危機を感じて信濃国に逃げました諏訪大社のある場所です。

 

大国主神は、アマテラスに出雲国に高くそびえる神殿を作ることを交換条件にして出雲の国譲りを終えたことになっています。こうして出雲大社が建立されたことになっています。

 

そんなわけないでしょう。

レンコンの妄想

出雲国と天孫国は3回争い、3回目に派遣された建御雷神(たけみかづちのかみ)が強かったため、出雲国は争いに破れて建御名方神(たけみなかたのかみ)は諏訪大社まで逃げて、その他は東北に逃げたと考える方が自然です。

 

日本神話といわれているものの矛盾2

同じように大和国を統治していたニギハヤヒに対してもアマテラスは、ニギハヤヒの弟であるニニギノミコトを日向に天孫降臨させて、現在の天皇家における三種の神器(八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉とともに天児屋命、布刀玉命らも一緒に天降りしています。

天児屋命中臣の祖伸で、布刀玉命忌部の祖伸です。共に祭祀を司る豪族です。忌部はのちに織田氏に繋がります。

 

アマテラスの第5世代子孫で、ニニギノミコトの第4世代子孫である(神武天皇)は、大和国を占領するために神武東征し、八咫烏の助けを借りて大和国に到着するも長髄彦(ナガスネヒコ)の強さに負けていました。

ここでニギハヤヒは、義父である長髄彦(ナガスネヒコ)を殺して大和国を国譲りしています。

そんなわけないでしょう。

レンコンの妄想

カムヤマトイワレビコ(後の神武天皇)にあっさりと国譲りするのは不自然で、天孫系が大和国(土着の倭国)まで争いで手中に納めて長髄彦(ナガスネヒコ)らを東北または南九州に追いやったことを隠したものと考えます。

争いに敗れた出雲系と古代から統治していた倭国の人々東北地方に逃げていき、その地を蝦夷といって敵対視していたことも理解できます。

日向系(ニニギノミコトが宮崎の日向に天孫降臨したため)を正当化したいために古事記や日本書紀を編纂した藤原氏の意思を感じます。

レンコンは、日向系を批判していると誤解しないでください。アマテラスが日本の大切な大神であることには大いに同意します。

歴史の真実を別の見方で妄想しているだけです。