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真実の歴史妄想隊参上❣聖徳太子ゆかりの地(その2)法隆寺・叡福寺・四天王寺リサーチ

物事の真実(レンコンなりの解釈)

セカンドライフを始めて慣れてきたレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階です。今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。今回は、聖徳太子ゆかりの寺(その2)をリサーチします。

法隆寺

世界最古の木造建築として広く知られている奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳宗の総本山の寺院です。

本尊は、釈迦如来で聖徳太子ゆかりの寺院です。

法隆寺の境内図です。

塔・金堂を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とした東院伽藍に分かれています。

西院伽藍は、中門・金堂・五重塔・大講堂があります。

中門

中門は、重厚な扉と左右に力強い金剛力士像が迎えてくれます。

卍くずしの高欄(手すり)とそれを支える人字型の束が特徴です。

五重塔

五重塔は、釈尊の遺骨を奉安するためのもので、仏教寺院において最も重要な建物とされており、しかもわが国最古の五重塔です。

金堂

金堂には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像、太子の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来座像、母君のために造られた阿弥陀如来座像等が安置されています。

大宝蔵院には、百済観音像玉虫厨子等多数の宝物が安置されています。

東院伽藍は、夢殿・舎利殿・絵殿・伝法堂があります。

夢殿は、八角円堂の中央厨子に救世観音像を安置しています。

聖徳太子御廟所の叡福寺

聖徳太子自らが廟所として選定された磯長廟(しながびょう)は円墳で、内部は横穴式石室になっています。

太子が49歳で薨去後、前日に亡くなった妃と2か月前に亡くなられた母とともに埋葬され、三骨一廟といわれています。太子を救世観音の生まれ変わりとする太子信仰の象徴となり、空海や日蓮等が参篭して日本の大乗仏教の聖地として栄えました。

太子は、三経義疏(さんぎょうぎしょ)という三経(勝鬘経・維摩経・法華経)の経典を著しました。

レンコンが常に連想してイメージしてしまう空海は、三経指帰(さんごうしき)という三教(仏教・儒教・道教)を比較して仏教の優越性を説いた小説を書いています。

宝塔

宝塔は、重要文化財で、釈迦・文殊・普賢・大日如来を安置しています。

金堂

金堂は、如意輪観音座像が安置されています。

二天門

立派な銅灯籠です。宝珠も見事です。

四天王寺

丁未(ていび)の乱で、仏教推進の蘇我馬子と神道推進の物部守屋の戦いで、蘇我氏についた聖徳太子は、形成不利を打開するために白膠木(ぬるで)に四天王を彫り、勝利したら四天王を安置する寺院を建立することを決意していました。

丁未の乱で蘇我氏勝利となったので四天王寺が建立されました。

四天王寺の伽藍配置は、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。法隆寺の伽藍は、金堂と五重塔が横並びになっていますが、同じような形態です。

金堂と五重塔です。

金堂には、救世観音菩薩像、四天王像等があります。

蘇我氏は歴史から消えた?

丁未の乱(蘇我氏×物部氏)で勝利を納めた蘇我氏は、天皇を凌ぐほどの勢いがありましたが、蘇我氏の勢いを滅ぼすために中大兄皇子と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が乙巳(いっし)の変で蘇我氏を滅ぼし、聖徳太子と蘇我馬子が編纂した天皇記・国記が燃やされてなくなっています。古事記や日本書紀以前の書物なので、藤原氏にとって都合が悪いため燃やされたのかもしれません。

歴史は勝者の物語ですね。