物事の真実(レンコンなりの解釈)
セカンドライフを始めて慣れてきたレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階です。今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。今回は、肥前名護屋城跡・七ツ釜をリサーチします。
肥前名護屋城
名護屋城は、豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際に国内拠点として築いた城です。わずか5ヶ月で築城され、大坂城に次ぐ規模を誇った城でした。
名護屋城というと名古屋城と混乱されるかもしれませんが、名古屋城は徳川家康が築城しています。
名古屋城の前に那古野(なごや)城があって、主君である織田信長の生誕地で信長は少年期を過ごしていました。
秀吉は、同じ言霊の名護屋(なごや)城としました。
学校で習った歴史では、新たな土地を確保するために朝鮮出兵を計画したとありましたが、実際に名護屋城跡に行くと戦いとは無縁の平和な空気を感じました。
移動できる黄金の茶室で茶会がさかんに行われたようで、天下統一できて平和な暮らしをしていたのではないかと思ってしまいました。
あらゆる武将が名護屋城の周りを陣屋で守護固めしていました。
平和な雰囲気と堅固な守備の理由は何なのでしょうか?
学校で習う歴史では、日本史と世界史を分けて習うので、世界との関連はさっぱり理解できませんでした。日本が世界と全く関わらずに動くことは考えられません。ひょっとしたらわざと関係がわからなくなるように教育されたのかな~って思ってしまいます。
文禄(1592~1593)・慶長(1597~1598)の役は大航海時代で、スペインとポルトガルが世界を2つに分けて占領しようという壮大で恐ろしい計画の元にアジア各国が植民地にされていく状況にあるという情報は理解していました。明が植民地になると次は日本となるので、貿易がさかんな九州に陣を構えて動向を見極め、いざというときには日本を守るために陣取っていたと考えるとなぜか納得がいきます。
フィリピンはスペインの植民地でした。
豊臣秀吉は、スペインと朱印船貿易を始めることができました。
当時の日本は、とても強かったので侵略したくても手が出せなかったのが実態だったようです。強いことが最大の守りであるという証明ですね。
現在の日本の現状は、当時とはかなり異なります。
考えさせられます。
徳川家康も朱印船貿易を引継ぎ、幕府の財政を大いに助けました。
朱印船貿易で東南アジア全域と交易していたのですね。
名護屋城跡碑です。
名護屋城天守台からの景色です。
七ツ釜洞窟
玄界灘の荒波に浸食されてできた7つある洞窟の景勝地です。
柱状節理といいまして溶岩流の冷却で起こった現象といわれていますが、こんなに規則正しい四角や円形の石柱ができると主張するのは心苦しいでしょう。
過去の巨木が石灰化してできたものであるといわれたほうが納得がいきます。
どう見ても巨木の樹液を運ぶ道管に見えます。
歴史からは離れますが、あまりにきれいでしたので観光気分で少し・・・
展海峰
佐世保の絶景「九十九島」が間近に見える展望台です。