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海神神社と椎根の石屋根の謎を考察

物事の真実(レンコンなりの解釈)

セカンドライフを始めて慣れてきたレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階です。今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。今回は、海神神社と椎根の石屋根の歴史をリサーチします。

海神神社(かいじんじんじゃまたはわたつみじんじゃ)

長崎県対馬市峰町木坂に鎮座する神社です。対馬国一之宮です。創建年代は不詳です。

主祭神

豊玉姫命

配祀神

〇彦火火出見命(山幸彦)豊玉姫の夫

〇宗像神または道主貴神(みちぬしのむち)

宗像三女神のことです。天照大神とスサノオの誓約で生まれた女神で田心姫神(タゴリヒメ)、湍津姫神(タギツヒメ)、市杵島姫神(イチキシマヒメ)のことです。

〇鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)豊玉姫命の御子

豊玉姫と山幸彦の神話

豊玉姫は、海の女神でワタツミの娘です。山幸彦の妻となり、龍宮で3年暮らしましたが、山幸彦は地上に帰りたくなり、豊玉姫は地上で子を産むことになりました。

豊玉姫は、山幸彦と出産の姿を見ないように約束しました。

神話あるあるで、見るなといわれれば見てしまうのが決まり事です。

産屋(うぶや)を作っている途中で産気づき、出産する際に和邇(鮫)の姿で出産しているところを山幸彦に見られてしまいました。

出産姿を見られた豊玉姫は、恥ずかしくなり海に帰ってしまいました。

産屋の屋根が未完成(屋根の頂上を葺き合せ終わらないうち)だったので、子の名前が鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)となりました。

 

当神社は、江戸時代までは八幡神を祀っていました。

対馬には、太陽によってはらんだ子供を天神として祀る「天道信仰」があり、「母子信仰」が基盤にあります。

八幡神とは、神功皇后応神天皇(神功皇后の御子)です。

対馬は、朝鮮半島まで50㎞に位置しており、古代において外交と国防の最前線の島でした。

海神神社は、かつて木坂八幡宮と呼ばれていました。対馬から朝鮮海峡が一望できる伊豆山の中腹に鎮座し、八幡信仰発祥の地とも言われています。

社伝によると神功皇后が三韓征伐からの帰途に新羅を鎮めた証として旗八流を上県郡峰町に納めたことに由来しています。旗は後に伊豆山に移され、明治4年に祭神を八幡神から豊玉姫命に改めて海神神社と改称し、明治維新後に神社を等級化する際に国弊中社に列格しました。

神社の格は、伊勢神宮>管弊大社>国弊大社、管弊中社>国弊中社>管弊小社>国弊小社>別格管弊社となっています。

海神神社は、国弊中社なので格式は高いです。

レンコンの妄想

明治維新後の神社を等級化する際に社格を高くするためにかなり主祭神が変更されたのではないかと妄想します。長い間地域の豪族を神として祀っていたところ、日本神話で登場する神に変更して格を上げた神社が多数あるのではないかと妄想します。

ご利益

海上安全

安産祈願

家内安全

縁結び

椎根の石屋根

日本では石屋根の家は対馬だけです。対馬でも椎根(しいね)、上槻(こうつき)、久根浜(くねはま)久根田舎(くねいなか)の近くでしか見られない長崎県の有形文化財に指定されています。

瓦の代わりに、島でとれる板状の石が屋根に使われている平屋の建物です。起源は不明ですが、瓦より堅固な石材が容易に得られる地方では、古くからあったと考えられます。衣類や布団、穀物などを保管するために造られたようです。冬場の季節風や湿気、水害などから守るために高床式にしたり、母屋が火事になっても延焼しないよう、離れた場所に建てられています。

近年では、石屋根から瓦ぶき屋根に変わってきています。


対馬シリーズはこれで終了です。