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真実の歴史妄想隊参上❣石手寺(道後温泉)と金剛福寺(足摺岬)のリサーチ

物事の真実(レンコンなりの解釈)

セカンドライフを始めて慣れてきたレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階です。今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。今回は、石手寺(道後温泉)、金剛福寺(足摺岬)をリサーチします。

石手寺(道後温泉)

率直な感想をいえば、色々な要素が満載の奇妙・奇天烈な寺院でした。

石手寺は、728年聖武天皇の勅願に応じて伊予の太守である河野玉澄が、熊野十二社権現を祀る道場として創設されました。四国八十八ヶ所霊場の第51番札所で、子宝や安産・健康のご利益を求める人に親しまれています。

衛門三郎再来伝説

石手寺は、「安養寺」といわれていましたが、衛門三郎伝説により「石手寺」になりました。

昔、衛門三郎という豪族(河野家の一族)がいました。強欲で非道な行為で神仏を敬わず、日夜私利私欲を追求していました。ある日、彼の屋敷を訪ねた托鉢の僧を竹ぼうきで追い払いました。その僧こそ弘法大師でした。

その翌日から8人の子供が次々と死んでしまいました。大師への懺悔の気持ちから田畑を売り払い、家人に分け与え、大師を追って謝るための旅に出ました。四国遍路の始まりです。しかし、20回遍路をしても大師に会えず、21回目で逆回りを始めた途中で焼山寺で倒れてしまいました。その時大師が現れ「望みはあるか」と尋ねると「来世も河野家に生まれて人の役に立ちたい」と言い残し息絶えました。大師は石に「衛門三郎」と刻み手に渡しました。翌年河野家に生まれた男の子は、右手を握ったまま開きませんでした。寺で願をかけたところ衛門三郎と書かれた石が現れ、この石を寺に納めて石手寺と改めました。

妄想ポイント

衛門三郎の生活はとんでもなく悪いから仕方がないかも知れませんが、8人の子供が死んでしまうのはあまりに呪詛が強すぎるのではないかと考えます。

天才空海ですので、呪詛をかけるのは簡単でしょうが、衛門三郎にとってあまりに厳しい罰だな~って思うのはレンコンだけでしょうか。

石のくぐり輪

「元気再生石」という黒い石があります。

怪しい木彫りの彫刻像もあります。

石づくりの七福神や多くの木彫り彫刻、たくさんの毬玉があります。

どんな意味があるのかは不明です。

大きな鯛のえびす天です。微笑ましいです。

鉱石がとれると思われる石です。

風神・雷神が木彫りで彫刻されています。

地底マントラ洞窟

200mほどのトンネルです。まっくらで恐ろしいですね。真ん中に石仏があるので躓いてしまうかもしれません。電気がないと何があるのか全くわかりません。電気はほとんどついていませんでした。金剛界や胎蔵界など見えないのでよくわかりませんでした。暗いので不気味さだけを感じました。懐中電灯があればよかったかな。

洞窟を出るとマントラ塔があります。異国情緒豊かなオブジェというと罰があたるでしょうか。

奇天烈すぎてレンコンには理解の範囲を越えた寺でした。

金剛福寺

四国最南端にある第38番札所です。

弘法大師は、足摺岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得しました。そこで、嵯峨天皇に奏上し、勅願により開創したと伝えられています。

大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵(ごこしょ)を投げたとされ、別名、金剛杵ともいいます。唐から日本に向けて五鈷杵を投げたとされる話は、高野山にも届いたという伝説もあります。どちらの説もたとえ室伏広治が投げても日本には届かないと思います。何かの比喩でしょうか。

仁王門

土佐藩主山内忠義の寄進といわれています。

立派な青銅燈です。頂上に金の宝珠が燃えています。素晴らしい作品です。

妄想ポイント

銅は電気を通します。空気の中のエーテルを天井の宝珠がアンテナとなり、電気を通して寺のエネルギーを賄っていたのではないかと思いました。 

奇石が多い石造りの龍の手水鉢です。目立ちます。

石造りの大亀と弘法大師です。

梵字が彫られた五輪塔です。一番上は宝珠です。

本堂裏の108体の鋳造仏像は圧巻です。

赤い巨石です。鉄分を多く含んでいます。

行者堂(役小角)

修験道ですね。象の上に鋳造された仏像です。天燈と書かれた大きな青銅燈です。もう一つの電燈かも。

鉱山ですから金や銅や鉄は産出でき、青銅を製造していたと思われます。