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真実の歴史妄想隊参上❣函館五稜郭と箱館戦争のリサーチ

物事の真実(レンコンなりの解釈)

セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。今回は、函館五稜郭と箱館戦争を考察します。

 

函館五稜郭

五稜郭の歴史

江戸幕府が200年以上に渡る鎖国政策は、1853年アメリカのペリー来航によって崩れていきました。

1854年に「日米和親条約」を締結し、食糧・薪水等の欠乏品の補給や遭難民の保護・引き渡しを保障することになりました。

伊豆の下田蝦夷地の箱館を開港場とし、イギリス・ロシアとも同様の和親条約を締結しました。

江戸幕府は、外国との交渉や蝦夷地の防衛のために箱館奉行を配置しましたが、市街地では安全のために内陸の平坦地に移転することにしました。

幕府は、蘭学者の武田斐三郎に役所の外郭施設の設計を命じています。

レンコンは、ここでこの蘭学者は設計の技能を持っていたのか?

蘭学者が設計?

大きな疑問を持ちます。

フランスの軍人からヨーロッパで発達した「城郭都市」をモデルにした設計を行いました。

フランス人の口伝だけで城郭都市を果たして設計できるのか?

軍人が設計できるほどの知識を持ち合わせていたのでしょうか?ここも疑問です。

1864年に五稜郭が完成したという設定になっております。

「柳野城」という別称もありました。

箱館戦争勃発

1867年に徳川慶喜の「大政奉還」で江戸幕府は崩壊したので、五稜郭での江戸幕府による業務は4年ほどで幕を降しました。

1868年に京都で薩長連合軍と旧幕府軍が「鳥羽伏見の戦い」「戊辰戦争」が勃発しました。

江戸の無血開城を潔しとしない旧幕府陸軍の残存部隊が、新政府に抵抗を続ける東北地方の諸藩を目指し、江戸を脱走し、北関東から東北地方を転戦してきた土方歳三に率いられた新選組などの旧幕府軍とともに戦っていました。

旧幕府海軍の榎本武揚は無傷の幕府艦隊を江戸湾に終結させて江戸湾を脱走し、東北諸藩支援のために仙台の松島湾に寄ったが、すでに戦況が悪かったので土方歳三に率いられた新選組などの旧幕府軍を艦隊に加えて蝦夷地に向かいました。

榎本武揚は、蝦夷地来航の前に明治新政府に対して生活の糧を無くした旧幕府家臣たちの生活安定のための蝦夷地開拓の歎願書を提出する予定したが、その前に箱館戦争が始まってしまいました。

 

あっさり勝利した旧幕府軍は、五稜郭を占拠しました。

新政府に蝦夷地開拓の請願をしたが、認められませんでした。

旧幕府軍800名、明治新政府300名の犠牲者を出して箱館戦争は終結しました。

徳川家臣団による蝦夷地開拓の夢は消えました。土方歳三も戦争で亡くなりました。

戦争は、地元住民や家臣に多くの犠牲者がでます。

どんな戦争でも直接の当事者でない庶民が犠牲を強いられる構図になっています。

 

海軍の榎本武揚は、その後北海道開拓使を皮切りに明治政府の要職を歴任して大臣にまでなっています。

うまく世渡りをして出世街道まっしぐらです。

箱館奉行による産業振興策

 「屯田兵」制度による北方警備と農地開拓薬草・松・杉などの育成、牛・綿羊の牧畜, 本州各地から技術者を集めて製陶製紙、西洋式帆船の建造、金・銀・銅・鉄・鉛などの鉱山開発砂鉄を利用しての製鉄事業を行いました。

農地開拓・薬草・製陶・製紙・蚕の育成・製陶・製紙・鉱山開発、製鉄事業は日本全国どこでも重要な産業だったのではないでしょうか。

真実追求の歴史探索リサーチで鉱山とは切っても切れない縁があることから、鉱山開発や製鉄、薬草は重要な産業で、それぞれの都市の発展には必須政策であったと妄想します。