物事の真実(レンコンなりの解釈)
セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。伊勢神宮・伊雑宮別宮のリサーチです。
伊勢神宮・伊雑宮別宮に行ってきました。
天照大御神を祀る皇大神宮(内宮)と豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮があります。
広義には、別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた合計125の社宮を「神宮」と総称します。
天武天皇の時代に斎宮が制度化され、内宮の式年遷宮を持統天皇の時代の690年に開始され、その2年後に外宮の式年遷宮も開始されました。平成25年10月には62回目の遷宮が行われました。
内宮
伊勢神宮は、皇室の氏神である天照大御神を祀るため、歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強いですが、伊勢神宮への参拝は、天武天皇の次は明治天皇であったようで、伊勢神宮の立ち位置がどのような状況であったのかは図りかねます。
天皇の代わりに勅使が参拝していたようです。
正宮
正宮を支える石垣がすごいです。大きな石で組んだ石垣です。
ご神木のような巨木がたくさんありました。
歴史を感じます。
荒祭宮
天照大御神の荒御魂が祀られています。
荒祭宮を支える石垣もすごいです。
四至神(みやのめぐりのかみ)
境内の東西南北の方角を指し、東西南北を守護する神様です。
石畳の上に祀られている神様です。パワーがあるように思います。
滝祭神
五十鈴川を守護する水の神で、所管社ながら別宮に準じて祭典が行われます。
五十鈴川御手洗場(禊の場)の近くにあります。
天照大神に願いを取り次いでくれる神と言われています。
御池
とても気持ち良い空気が流れていました。
外宮
豊受大御神が祀られています。内宮の天照大御神の食事を司る神であり、衣食住や産業の守り神とされています。
清盛楠
鳥居を入ると右手にりっぱな樹があります。
清盛楠を呼ばれているのは、天皇の勅使として平清盛が参拝した際にこの楠の枝が清盛の冠に触れて冠が地面に落ちたため、激怒して枝を切らせたというエピソードが残っていますが、真っ二つに割れています。
伊勢湾台風で2つに割れたという話もあります。
樹齢1000年ほどの大きな楠です。パワーがあるような気がしました。
正宮(外宮)
内宮よりもオープンで気持ち良い感じがしました。
勾玉池
癒される空間でした。
三ツ石
式年遷宮の「川原大祓」が行われる神聖な場所です。
パワーがある場所であると感じました。
伊勢神宮内宮・外宮の雑感
内宮の正宮の中は、りっぱな社殿で覆われており、皇室の神社であるために庶民からは見えないベールで包まれているような気がして、重い波動を感じました。
歴史があるため、ご神木のような樹齢1000年を超えているような巨木がたくさんあり、圧倒されます。
外宮は、気持ち良い風が流れて楽しくなり、軽い波動だと感じました。
伊雑宮(いざわのみや)別宮
伊雑宮は、内宮(皇大神宮)別宮で志摩国にある唯一の別宮です。他の別宮は、全て伊勢国にあります。過去に62回の式年遷宮を行っています。
天照坐皇大御神御魂(天照大御神)が祀られています。
伊雑宮は、倭姫命(やまとひめのみこと)が御膳御贄処と定め創設し、内宮・別宮とされました という言い伝えがあります。
大きな杉の木や巨木
亀のような石もありました。
伊雑宮の歴史を感じます。
勾玉池がありましたが、水の流れが止まっていました。水が流れていればきれいな池ではないのかと思います。
伊雑宮事件
1658年、内宮・外宮よりも伊雑宮の方が古く、真の日の宮であると主張したとする事件。朝廷から伊勢神宮の別宮とされたことに不服申し立てしたが、認められませんでした。
「先代旧事本紀大成経」には、伊雑宮こそが天照大神(日神)を祀る社であると書かれています。それは、伊雑宮事件の内容と同じものであり、偽書とされました。
「先代旧事本紀大成経」は、聖徳太子が編纂した72巻の聖典です。偽書とされていますが、古事記・日本書紀よりも古くからの歴史が書かれています。
伊雑宮神職が主張する「伊雑宮が日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」という説を裏づけるようなものであることがわかり、支配者にとって都合が悪い情報ですよね~。
外宮は、豊受大御神が月神であることは正しいです。