物事の真実(レンコンなりの解釈)
セカンドライフを始めて間もないレンコンですが、歴史の真実を妄想し、調査している段階ですが、今現在のレンコンが信じる歴史の真実を不定期に発信したいと思います。よろしければレンコンの妄想にお付き合い下さい。熱田神宮のリサーチです。
熱田大神はいったい誰なのか?
熱田神宮
三種の神器の一つである草薙剣を祀る神社として知られています。
主神は、熱田大神
相殿は、五柱の神で、天照大神、素戔嗚尊、日本武尊、宮簀媛命(みやすひめのみこと)、建稲種命です。
日本武尊は、草薙剣を持って蝦夷征伐を行い活躍したあと、妃の宮簀媛命(尾張国造の女性で、日本武尊の最期の配偶者)のもとに預けました。宮簀媛命は、熱田の地に草薙剣を祀りました。建稲種命は宮簀媛命の兄で、日本武尊の蝦夷征伐で副将として活躍しました。
草薙剣に関係の深い五柱の神です。
表向きには、熱田大神は天照大神となっていますが、相殿の五柱に天照大神はいらっしゃいます。重ねるのはおかしいでしょう。
熱田大神は、楊貴妃であると確信しました。
熱田神宮内の「こころの小径」を進むと清水社に楊貴妃伝説があります。
真ん中にある石塔は、楊貴妃の石塔であるといわれています。
「こころの小径」を奥まで進むと一之御崎神社があります。熱田大神の荒魂(あらみたま)を祀っています。楊貴妃の御霊だと信じています。
尾張の民話 小島勝彦編に楊貴妃伝説が掲載されています。
唐の玄宗は、日本侵略を準備していた事を事前に察知して驚いたのが日本の神々で、対策を相談した結果熱田の大明神に出馬願うと決まりました。
中国に飛んだ熱田大明神は、女性の姿になって後の楊貴妃となりました。玄宗は、楊貴妃に気をとられて日本侵略をすっかり忘れました。馬嵬ヶ原で楊貴妃は殺されたことになっていますが、遺体は発見されませんでした。熱田大明神は役目が終わり、熱田に帰りました。
玄宗はあきらめきれず、楊貴妃が不老不死の楽園である蓬莱熱田の宮にいることを突き止めて使者を派遣したが、清水社の楊貴妃の墓を見て連れ戻すことができなかったという話が残っています。
東海道名所図会「中」にも同様の話が書かれており、
玄宗は別れを惜しみ、方士揚通幽を遣わし、日本蓬莱山にいると聞いて熱田神宮に訪ねてきたという話が残っています。
仙伝拾遺 暁風集にも書かれているので信憑性は高いです。
ひつまぶしで有名な蓬莱軒も熱田にあります。「蓬莱」もつながります。
信長塀
1560年桶狭間出陣の際に願文を奏し、大勝したのでお礼に奉納したものです。
日本三大土塀の1つ。他には三十三間堂の太閤塀、西宮神社の大練塀があります。
草薙館
刀だけが展示されていましたが、大太刀があり長さ160㎝、重さ6~8㎏あり、とても振り回せない代物ですが、当時2mを超えた大男が使用していたそうです。大男のような巨人がやはりいたのですね。
御神木
2か所あります。本宮の手前に大楠があります。龍神がいるとも言われています。楊貴妃は龍神といわれていますので、熱田大神にもつながります。
もう1箇所は、「こころの小径」の龍神社近くにある千年の楠です。こころの小径は2012年から公開されているので本当のパワースポットなのかもしれません。
海人族を護る神社
熱田付近の古地図はこれです。
海に面した神社で、大きな灯籠があったり池に亀石、水が豊かな神社です。
素戔嗚尊を祀る南新宮社があり、例祭として天王祭、祇園祭をおこなっていたので、素戔嗚尊を大切にしていた神社であることがわかります。
楊貴妃が日本人だとすれば、世界三大美女の2人は日本人ということになります。
日本の女性は美しいといえるのではないでしょうか。
楊貴妃に関しては、のちに空海の話にもでてくることになります。